Thursday, August 16, 2007
川島 敦子さんの本
今日15日は終戦記念日です。昨年ニューヨークに行ってから広島人を更に意識するようになったと何度か前にも書きましたが そのきっかけとなった大切な出会いを頂いた方が川島敦子さんです。
川島さんは、ニューヨークのHunter College
http://www.hunter.cuny.edu/classics/japanese/Courses.shtmlという有名私立大学で、長年にわたり日本文化講座・日本語日本文学部を開設、教鞭をとっていらっしゃる方。
私はHunter CollegeのWeb Siteで川島さんの名前を見て、何も知らずに「ちょっとお会いしてみたいんですが・・・」という電話を図々しくかけ、そんなすごい方とも知らず、恐れ多くもとても快く「じゃあ オフィスにおいでください」とお会いできる機会をいただいたのです。
お尋ねしてみると本当に素晴らしい方で、人として、女性の生き方として尊敬できるまた目標にしたい方と出会えたことは奇跡に近いと本当に感謝をしました。
川島さんは、16歳のときに玉音放送(昭和天皇が肉声によって朗読したものを録音し、翌日正午よりラジオ放送する事で国民に対して敗戦、降伏を広く告げる事とした)で日本が敗戦し、戦争が終わったことを聞き、その時にいつか本を出版なさりたいと ずっと思い続け
NYで9.11を体験されたときと第二次世界大戦の時を思い出されて 若い人たちに
伝えたいという思いでこの本を出版なさったとのこと。
実際に読んでみると、知らなかった戦争の現実が見えてきました。
広島にいると、戦争のこと原爆のことを聴く機会が多いので、それなりに
あの頃のことを知っていると思っていましたが、一人の多感な十代の少女の
目を通していろんなことを知ることができます。
川島さんは58歳でコロンビア大学の修士号を取得され以来、今も未だ現役で
日本語を教えていらっしゃるとてもパワフルな方。
それでいて、落ち着いた貫禄と優しさにあふれ、明確な意思を持っていらっしゃる
人として女性として素晴らしい方でした。
私はこういう方と、お会いすることができて、とても恵まれていると
心から感謝しております。
そして出会いや人生の不思議さにも驚いています。このような類稀なる出会いができたことに
とても感謝しております。
今日、終戦記念日の日にどうしても川島さんのことをみなさんにご紹介したかったのです。
是非川島さんの本を読んでみてください。
川島敦子さんの本
少女の記録、あの頃――1935~1945.8.15 & 2001.9.11 (単行本)
講談社
http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%91%E5%A5%B3%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%80%81%E3%81%82%E3%81%AE%E9%A0%83%E2%80%95%E2%80%951935~1945-8-15-2001-9-11-%E5%B7%9D%E5%B3%B6-%E6%95%A6%E5%AD%90/dp/4062135531/ref=sr_1_2/250-7005271-2096248?ie=UTF8&s=books&qid=1187193167&sr=8-2
川島さんについて
http://www.info-fresh.com/index.php?pages=seikatsu&type=detail&no=1778
Monday, August 13, 2007
8.6平和記念式
昨年NYに行って以来、広島人を更に意識するようになったと、何度か前に書いたと思います。
今年たまたま弟夫婦が8月6日の平和記念式に行くというので母と4人で数十年ぶりに列席してきました。原爆ドーム前から資料館に向かって歩くと様々な思想の人達のグループに出会い、とてもいい社会見学でした。
原水爆禁止を唱えるグループや学生の平和活動クラブ、本当に年齢を問わず多くの人たちがいる。ちょっと過激なグループも。驚いたのは若い人たちが意外と多いということ。
60周年の時に、若者は忘れていくのではないのかとかなりの懸念をされていたようですが、少なくともここでは、若い人が多かった。逆に気になったのは、お年寄りのために設置されたテントにほとんどお年よりが見当たらなかったこと。
8時15分厳粛な黙祷の後(黙祷の時も原水爆禁止団体と思われる人たちが叫んでて常識的に・・・と驚く)市長の平和宣言。
かなりはっきりとダイレクトに伝える内容だった。
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html
世界に向けて発信するわけだから、とてもいいこと。
この平和宣言を聞いていて思い出したことがある。
子供のころ、足や手を失った人たちが道端に座って(軍服を着てバックには軍歌がかかっていた)お金をお願いしますという箱が置かれていた。
それから、京橋川には まだバラックのような家が川の中に建っていた。
いつの間にかそういう光景はなくなっていたのだけど・・・
子供の頃は8月6日の夜、祖父母・家族全員で家から一番近い川に灯篭流しに行っていたけど
それも今は平和公園前の元安川だけになりイベント化されてしまい、昔の厳かな雰囲気は もうない・・・(まあ、川の環境対策が一番の原因かもしれないけど)
次は 8月6日について 書きますね。
今年たまたま弟夫婦が8月6日の平和記念式に行くというので母と4人で数十年ぶりに列席してきました。原爆ドーム前から資料館に向かって歩くと様々な思想の人達のグループに出会い、とてもいい社会見学でした。
原水爆禁止を唱えるグループや学生の平和活動クラブ、本当に年齢を問わず多くの人たちがいる。ちょっと過激なグループも。驚いたのは若い人たちが意外と多いということ。
60周年の時に、若者は忘れていくのではないのかとかなりの懸念をされていたようですが、少なくともここでは、若い人が多かった。逆に気になったのは、お年寄りのために設置されたテントにほとんどお年よりが見当たらなかったこと。
8時15分厳粛な黙祷の後(黙祷の時も原水爆禁止団体と思われる人たちが叫んでて常識的に・・・と驚く)市長の平和宣言。
かなりはっきりとダイレクトに伝える内容だった。
http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1110537278566/index.html
世界に向けて発信するわけだから、とてもいいこと。
この平和宣言を聞いていて思い出したことがある。
子供のころ、足や手を失った人たちが道端に座って(軍服を着てバックには軍歌がかかっていた)お金をお願いしますという箱が置かれていた。
それから、京橋川には まだバラックのような家が川の中に建っていた。
いつの間にかそういう光景はなくなっていたのだけど・・・
子供の頃は8月6日の夜、祖父母・家族全員で家から一番近い川に灯篭流しに行っていたけど
それも今は平和公園前の元安川だけになりイベント化されてしまい、昔の厳かな雰囲気は もうない・・・(まあ、川の環境対策が一番の原因かもしれないけど)
次は 8月6日について 書きますね。